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詳しくなくて、すみません。

デブメガネというあだ名だった林修さん フレンチダイエットで30kg減

今やる人になる40の習慣

今やる人になる40の習慣

金スマ波瀾万丈にでてた東進ハイスクール講師 林修さん。「今でしょ!」旋風が巻き起こっているらしい。2月15日に金スマにでて以来、1ヶ月で100本以上のオファーがあったらしい。。そのうち情熱大陸とかにもでそう。

 

1965年9月2日 名古屋生まれ、超頭でっかちだったらしい。

父 光一さんは大手酒造メーカーの元副社長。祖父 林雲鳳さんは日本を代表する歴史画家という華麗なる一族だったらしい。遊び場は祖父宅の広大な庭で、幼稚園には黒塗りの車で送り迎え。

小学校時代には祖父の影響で歴史書や百科事典をノートに書き写していたらしい。自分が源氏の末裔だと信じていて、およそ3年かけて巨大な家系図を作成したこともあるらしい。図書館に置いてあった歴史全集をほぼ丸暗記するくらい読んで第56代清和天皇からずっと始まって源頼朝とかがでてくる系図で最後は林修で完成させたのが小学校のときの一番の仕事だったそうな。

小学校時代のあだ名はデブメガネだそうな。けど、勉強はずば抜けてできていたため同級生に勉強を教えるなどで、いじめられることはなかったそうな。名門東海中学にほとんど勉強せずに入学。中三にして大学受験の勉強をしていたらしい。

 

高校に進んだら突然ミュージシャンを目指すことに。しかし太りすぎが理由でギターがひけずわずか数日にて断念次はラグビー部に入部、しかし驚異的な足の遅さと目の悪さでボールがキャッチできず、東大進学を決意。しかしほとんど何もすることなく、大学合格発表もみにいかないほどの自信だったそうな。

 

一番はじめは巨人の選手になりたかったらしい。「第一位選択指名選手・林修」って呼ばれたかったし、ギターがうまかったら、バンドとかもやりたかったそうな。祖父が画家だったが絵の才能もないことは幼稚園ではっきりとしていたそうな。

 

名古屋の神童と呼ばれ、東大法学部(文科一類)に入学。ずっと男子校にいて合コンで火がついたらしいが、合コンで女性同士の会話で「あんなデブにつきまとわれて」っていう風にいわれてショックを受けたらしい。

そこで自分に合ったダイエットを研究。フランス料理店で安いランチを毎日食べてあとは夜にひたすらはしるというフレンチダイエット。たった3ヶ月で100kgから70kgに減量したそうな。すると女性から声がかかるようになったらしい。

 

女性とデートするのにはお金がかかるということで、家庭教師のバイトをはじめたのだが、瞬時に生徒の問題点と最適な教え方が見抜ける力があったらしい。
どこがわからなくて、どこを直してやればできるようになるかが分かるんだとか。そこがわかるようになるためにはどういう手段をどういう順番で組み立てればいいかはだいたいすぐに設計図ができ、林修さんが教えれば100%成績があがったそうな。

学年中334位でびりだった生徒を2位まで引き上げたこともあったそうな。口コミで広がり1日3軒はしごで教えることもあり、すべて食事を家庭教師先でまかなっていたそうな。アルバイト月収が50万円超えることも。

 

 

1988年日本長期信用銀行に入社。
しかし同僚の人たちの会話を聞いてつぶれると判断し半年で退社。9年後、バブル崩壊により日本長期信用銀行は破綻。入って1週間で判断したらしい。

 

その後勉強のノウハウを競馬の予想へ活用したりし、株や投資などその日暮らしの生活をしていたらしい。親や親戚、消費者金融からも借金してたそうな。その結果借金総額が1千万円超。一通りの世の中の人が損するパターンはけっこう体験しているらしい。生活もあれ、部屋も荒れ、白菜から黄色い花が咲くことに感動したらしい。

 

 

月曜日から土曜日まで全部を競馬に注ぎ込む人生にむなしさを感じて、もういいと思って、得意な勉強を活かして学習塾の仕事を掛け持ち。しかし学習塾は夜しかないので、昼間の予備校に目を付けて東進。東進予備校生以外でも受けられる公開授業でオーディションをされたらしい。担当者が採点する点数、受講した生徒たちのアンケートにより決まるそうな。全員の点数が高く、塾講師としての採用が決まったらしい。

 

が、、、参加したせいとはほとんどが教え子のサクラで事前に頼み込んでいたらしい。感動したとか、現代文の印象が大きくかわったとかアンケートの書き方も指示していたらしい^^;

 

1992年カリスマ予備校講師 林修誕生。講師は年間契約なので、かなり厳しいため、昼夜を惜しんで教材研究などしていたそうな。過去30年間の東大入試問題を研究してたことから、東大特進コースを担当。
しかし、はじめ無名な林さんに優秀な学生は特に目を向けることもなく、自習室で遊んでいたらしい。あんなヤツの授業にでるのは時間の無駄だみたいな感じ。そこで、入試対策に加え人の心に響く言葉を研究したらしい。

 

2009年、自分自身もふいに発した言葉が「いつやるか?今でしょ」だったらしい。第2講 ステップ4 a=我慢 b=凡庸 c=代物 d=妥協の解説が背景。

今までの人生で「やるなら今でしょ?」は修にとって自然な言葉だったらしい。

 

その後口コミで広がりわずか4年で受講生は7倍の700人になったらしい。2010年からは看板講師としてCM等に採用されるようになったそうな。

 

日経エンタテインメント! 編集委員の品田秀雄さんによれば、出来ること・やることがとても大切な時代になっていて、この言葉・このCMが注目されていると分析しているらしい。

 

奥さんの祐子さんはこの言葉に関して、「そりゃその通りじゃないですか?」と思っているそうな。
奥さんに「結婚する気あるの?」と聞かれすぐに「はい」と答えたらしい。「じゃぁいつするの?」「いまでしょ!」みたいな感じだったそうな。

 

ポリシーとして質問がでるような授業は最低だと思っているらしい。